日本を代表する野球場、甲子園球場の名前は誰もが知るところですが、その名前の由来や背景について深く知る人は意外と少ないかもしれません。
夏の高校野球やプロ野球・阪神タイガースの本拠地として親しまれるこの球場の名前には、歴史や文化が詰まっています。
この記事では、甲子園球場の名前の由来と、知られざる豆知識を紹介します。
甲子園の名前の由来
甲子園球場の名前は、建設された1924年が「甲子(きのえね)」の年に当たることに由来します。
甲子とは、十干十二支の最初の組み合わせで、60年周期の暦の中で特別な意味を持つ年です。
十干(じっかん)とは「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の10種類、十二支は「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の12種類を指し、これらを組み合わせたものが暦のサイクルを構成します。
1924年はちょうどこのサイクルの最初、つまり「甲子」の年でした。
この年は新たな始まりや縁起の良い年とされ、施設の命名にふさわしいとされました。
そこで、阪神電鉄が運営するこの野球場の名前を「甲子園」と命名したのです。
実は、甲子園球場がある地域の地名も「甲子園」ですが、これは球場の名前が先に決まり、その後に周辺地域が「甲子園」と呼ばれるようになった逆転現象です。
元々このエリアは「鳴尾村」や「西宮」と呼ばれていましたが、球場の知名度が上がるにつれて地名も甲子園として定着しました。
甲子園球場の歴史的背景
甲子園球場は、1924年に阪神電鉄が私鉄事業の一環として建設しました。当時、阪神電鉄は沿線の利用者を増やすため、娯楽施設の開発を進めていました。
野球の人気が高まりつつあった時代背景もあり、野球場は地域のランドマークとして最適でした。
設計はアメリカの球場を参考にし、特にボストンのフェンウェイ・パークの影響を受けたと言われています。
緑のフェンスや独特の雰囲気は、現在の甲子園にもその名残が見られます。
また、甲子園球場は当初から高校野球の聖地としての役割も担っていました。
1915年に始まった全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)は、1924年に甲子園球場が開業すると同時にこの場所で開催されるようになり、以来、日本の野球文化の象徴として成長しました。
意外と知られていない豆知識
「甲子園」の土の秘密
甲子園のグラウンドの土は、選手やファンにとって特別な存在です。
試合後、敗れた高校球児がグラウンドの土を持ち帰る姿は感動的ですが、実はこの土は定期的に入れ替えられています。
雨や試合による摩耗で土が劣化するため、シーズンオフに新しい土と交換されるのです。
また、甲子園の土は地元兵庫県産の黒土と白土をブレンドしたもので、独特の色合いと質感が特徴です。
銀傘の由来
甲子園球場のスタンドを覆う屋根は「銀傘」と呼ばれます。
この名前は、屋根の形状が傘のように見えることと、金属製の素材が銀色に輝くことに由来します。
1924年の開業当時は屋根がなく、後に観客の快適性を高めるために設置されました。
この銀傘は、甲子園の風景を象徴する存在として、ファンにも愛されています。
ラッキーゾーンの歴史
かつての甲子園球場には、ライトスタンドとレフトスタンドに「ラッキーゾーン」と呼ばれるエリアがありました。
これは、フェンスと観客席の間に設けられた空間で、ホームランが出やすくなる設計でした。しかし、1992年に撤去され、現在はフェンスが直にスタンドに接しています。
この変更は、ホームランの価値を高め、守備の戦略性を重視する目的で行われました。
蔦の物語
甲子園球場の外壁を覆う蔦(つた)は、球場のシンボルとして知られています。
この蔦は、アメリカから持ち込まれたボストンアイビーで、球場の建設時に植えられました。
夏の緑、秋の紅葉が美しい蔦ですが、実はメンテナンスが大変で、定期的に剪定や管理が行われています。
蔦の色づきは、甲子園の季節感を演出する重要な要素です。
甲子園の魅力
甲子園球場の名前は、単なる地名や施設名を超えて、日本の野球文化そのものを象徴しています。
甲子の年の縁起の良さ、歴史ある高校野球の舞台、そして阪神タイガースの熱狂的なファンの声援。
これらが一体となり、甲子園はただの球場ではなく、感動と情熱の場となっています。
次に甲子園を訪れる際は、名前の由来やその背景に思いを馳せてみてください。
甲子園の土や銀傘、蔦の緑が、いつもとは違った輝きを見せるかもしれません。
